12月18日
Part 2 人類の共有資産 〜未来を託された共有資産〜
知床、Firefox それぞれが直面した危機の歴史。本当の意味での共有資産となるまでには、多くの人々の力があった。
しれとこ 100 平方メートル運動
豊かな自然に恵まれた知床半島だが、土地のすべてが、太古からの手付かずの大自然のままというわけではない。乱開発の危機にさらされようとした時、それを救ったのは人間の力だった。自然を愛する人々の善意が積み重ねられることで、人類の共有資産である知床の大地は、今も大切に守り続けられている。
しれとこで夢を買いませんか
知床半島のある北海道には、入植者によって開拓が行われ、農業が営まれてきた歴史がある。その後、社会状況の変化や時代の流れで多くの人々が土地を去って行くが、そこにはまだ多くの自然が残されていた。中でも知床は、日本で最も原生的な自然を持つ地域として、1964 年には 22 番目の国立公園に選ばれていた。
70 年代、日本列島を巻き込んだ開発ブームが訪れると、豊かな自然と、観光地としての資源に恵まれていた知床に、乱開発の危機が迫ろうとしていた。国や省庁の対応を待っているだけでは、この危機を守り切れないと考えた斜里町は、自ら行動を起こすしかないと立ち上がった。当時の町長であった故・藤谷豊氏は、大きな賭けに出ることにした。知床の自然とその未来を、全国の人々の手に託すことにしたのだ。
1977 年 2 月、知床の土地を買い取るための寄付を集める「しれとこ 100 平方メートル運動」を発表。「しれとこで夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、知床の大地を愛する全国の人達に募金を呼びかけた。
国内ナショナル・トラスト運動の先駆けに
「しれとこ 100 平方メートル運動」のアイディアは、イギリスのナショナル・トラスト運動にある「1 人の 100 万ポンドより 100 万人の 1 ポンドずつ」という言葉から生まれた。自治体だけでは不可能なことも、熱い思いを持つ多くの人々の力を少しずつ集めることで、不可能を可能にできるかもしれないと考えたのだ。
運動に対する反響は予想以上に高かった。活動開始から 5 年で、運動そのものが国内だけでなく、世界から注目を集め、日本におけるナショナル・トラスト運動の先駆けのひとつとなった。
そして、活動から 10 年目には、この運動の現地業務をはじめとする、知床の自然を末永く守っていく活動を行う実働部隊として財団法人知床財団 (旧名称:財団法人自然トピアしれとこ管理財団) が設立された。全国から寄せられた信頼に応え、知床国立公園の自然環境に関する調査・研究や、自然保護の考えを普及、啓発し、知床の自然を「知り・守り・伝える」を目指した活動組織が、地元発の創意工夫で立ち上げられたのだ。
2006 年 10 月には、羅臼町が知床財団の共同設立者として参画。両町にまたがる半島全体を守る組織として、さらに大きな一歩を踏み出している。
そうして運動から 20 年目を迎える 1997 年には、約 5 万人による 5 億円近い寄付金が集まり、目標のほぼすべての土地の買い取りが完了した。現在は運動の第 2 ステージとして、この土地に自然の生態系を再生するための活動が進められている。
買い取られた土地は、譲渡不能の原則を定めた条例が制定されており、未来永劫を守り続けられることになっている。その敷地内には、「しれとこ 100 平方メートル運動ハウス」という展示施設が設置されているが、なんと壁一面が、運動に貢献した人達一人一人の名前で埋め尽くされており、永久保存されている。
知床は、今や本当の意味で人々の共有資産となったのである。
[http://www.discovershiretoko.org/ja/stories/02/より ]
自然を壊すのも、自然を守るのも『人』であります。
何がちがうのでしょうか?『思い、心持』のちがいでしょうかね?
Part 2 人類の共有資産 〜未来を託された共有資産〜
知床、Firefox それぞれが直面した危機の歴史。本当の意味での共有資産となるまでには、多くの人々の力があった。
しれとこ 100 平方メートル運動
豊かな自然に恵まれた知床半島だが、土地のすべてが、太古からの手付かずの大自然のままというわけではない。乱開発の危機にさらされようとした時、それを救ったのは人間の力だった。自然を愛する人々の善意が積み重ねられることで、人類の共有資産である知床の大地は、今も大切に守り続けられている。
しれとこで夢を買いませんか
知床半島のある北海道には、入植者によって開拓が行われ、農業が営まれてきた歴史がある。その後、社会状況の変化や時代の流れで多くの人々が土地を去って行くが、そこにはまだ多くの自然が残されていた。中でも知床は、日本で最も原生的な自然を持つ地域として、1964 年には 22 番目の国立公園に選ばれていた。
70 年代、日本列島を巻き込んだ開発ブームが訪れると、豊かな自然と、観光地としての資源に恵まれていた知床に、乱開発の危機が迫ろうとしていた。国や省庁の対応を待っているだけでは、この危機を守り切れないと考えた斜里町は、自ら行動を起こすしかないと立ち上がった。当時の町長であった故・藤谷豊氏は、大きな賭けに出ることにした。知床の自然とその未来を、全国の人々の手に託すことにしたのだ。
1977 年 2 月、知床の土地を買い取るための寄付を集める「しれとこ 100 平方メートル運動」を発表。「しれとこで夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、知床の大地を愛する全国の人達に募金を呼びかけた。
国内ナショナル・トラスト運動の先駆けに
「しれとこ 100 平方メートル運動」のアイディアは、イギリスのナショナル・トラスト運動にある「1 人の 100 万ポンドより 100 万人の 1 ポンドずつ」という言葉から生まれた。自治体だけでは不可能なことも、熱い思いを持つ多くの人々の力を少しずつ集めることで、不可能を可能にできるかもしれないと考えたのだ。
運動に対する反響は予想以上に高かった。活動開始から 5 年で、運動そのものが国内だけでなく、世界から注目を集め、日本におけるナショナル・トラスト運動の先駆けのひとつとなった。
そして、活動から 10 年目には、この運動の現地業務をはじめとする、知床の自然を末永く守っていく活動を行う実働部隊として財団法人知床財団 (旧名称:財団法人自然トピアしれとこ管理財団) が設立された。全国から寄せられた信頼に応え、知床国立公園の自然環境に関する調査・研究や、自然保護の考えを普及、啓発し、知床の自然を「知り・守り・伝える」を目指した活動組織が、地元発の創意工夫で立ち上げられたのだ。
2006 年 10 月には、羅臼町が知床財団の共同設立者として参画。両町にまたがる半島全体を守る組織として、さらに大きな一歩を踏み出している。
そうして運動から 20 年目を迎える 1997 年には、約 5 万人による 5 億円近い寄付金が集まり、目標のほぼすべての土地の買い取りが完了した。現在は運動の第 2 ステージとして、この土地に自然の生態系を再生するための活動が進められている。
買い取られた土地は、譲渡不能の原則を定めた条例が制定されており、未来永劫を守り続けられることになっている。その敷地内には、「しれとこ 100 平方メートル運動ハウス」という展示施設が設置されているが、なんと壁一面が、運動に貢献した人達一人一人の名前で埋め尽くされており、永久保存されている。
知床は、今や本当の意味で人々の共有資産となったのである。
[http://www.discovershiretoko.org/ja/stories/02/より ]
自然を壊すのも、自然を守るのも『人』であります。
何がちがうのでしょうか?『思い、心持』のちがいでしょうかね?
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